まほらの天秤 第25話 |
建物を舐めるように赤い炎が揺らめき広がっていく、ごうごうと音を立てながら燃え上がるさまを、瞬きさえも忘れたかのように一同は見入っていた。 悪魔の家と呼ばれたそれが目の前で燃える様を、ある者は喜びに満ちた笑顔で、ある者は悲しみに満ちた瞳で、ある者は事態を飲み込めずにただ茫然と見つめていた。 巻き上がる黒煙と焼けるような熱さがこれは夢ではなく現実なのだと知らしめていた。 「じゃあ、また明日ね、ルルーシュ」 深夜に大泣きしていたと思えないほど、明るくさわやかな笑顔を浮かべ、スザクは別れの挨拶と同時に大きく手を振った。 その言葉に、俺はため息とともに否定の鈴を鳴らす。 もう来るな。 その名で呼ぶな。 その思いを込めて。 リンリンと2度鳴らす。 この意味が通じていることは解っている。だが、スザクはリンリンと鳴る鈴の音に笑うだけで、訂正しようとはしない。 笑って、手を振って、また明日来るからと一方的な約束をしてここを立ち去る。 木々に隠れ、その背が見えなくなるまで見送ってから深く深く息を吐いた。 疲れた。 眠い。 寝不足なんて何時以来だろう。 欠伸をかみ殺してから、スザクが立ち去った方を見つめてまた息を吐く。 理由はわからないが、どうやら元気にはなったようだ。 夜中に気配を殺して侵入し、泣きながらベッドにもぐりこんできた時には心臓が止まるほど驚いた。かなり泥酔していたらしく、ごめん、ごめんと何度も繰り替えし謝り続け、ひとしきり泣いてすっきりしたのか、泣きつかれたのか、そのまま深い眠りに落ち、目が覚めた時にはその瞳から悲しみの色は消えていた。 泣いた理由も忘れ、ここにどうしてきたのか、どうやって来たのかも忘れ、酒を飲んだ理由も忘れたのだから当然か。 なんにせよ、落ち着いたのならそれでいい。 天涯孤独だと言っていたから、亡くした家族を思い出して寂しくなり、誰かに縋り付きたくなったのだろう。全員を亡くしたということは、何かしらの事故か事件に巻き込まれた可能性があり、自身の事故でそれらのトラウマが蘇ったのかもしれない。 あの屋敷で弱音を吐くことは難しいだろうが、だからといってここに来たのは間違いだ。 今度ダールトンが来た時にスザクのことを頼むべきだな。 そこまで考えた時、再び出そうになったあくびを噛み殺した。 ・・・駄目だ、一度寝よう。 そう思った時、辺りが異様に静かだという事に気がついた。 少し前から嫌な気配を感じてはいた。 だが、ここに来るのはスザクと、心配性なダールトンだけ。 毎月食料を運んでくる老人は、あと10日は来ないはずだ。 この嫌な感覚は久しぶりに寝不足となり、精神が妙に興奮しているせいだと思ったが、やはり何かがおかしかった。 森が、静かだ。 静かすぎる。 暫く玄関で立ち尽くしていると、がさり、と、草が音を立てて揺れた。 そこに居たのは、鋭い目つきでこちらを睨みつけてくる男。 男は、片手に銃を構え、こちらにそれを向けていた。 先程まで隠していたのだろう、今はその男から痛いほどの殺気を感じる。 ああ、とうとう見られてしまったか。 ユーフェミアの騎士・枢木スザクが悪逆皇帝の元に来ていたことが。 彼らが、いや、ユーフェミアが一番恐れていたことが現実となったのだから、こうなることは想定内。眠気は一瞬で消え去り、ようやく霞の取れた脳がこの状況を分析しはじめた。恐らくここにいるのは、この男一人だろう。逃げることはまだ可能なはずだ。 ・・・これで、スザクはここに来なくなるだろう。 いや、来たところで空き家を目にするだけか。 淋しさとと安堵が胸に広がった。 男は空いている手で携帯を取り出すと、何処かにコールした。 「コーネリア様、やはり枢木は悪魔と接触していました。はい、今悪魔の元を離れましたので、戻るまで1時間ほどかかるかと・・・コーネリア様が、ですか?はい、はい。畏まりました。では、そのように」 男--ギルフォードは、携帯を仕舞うと、銃を構えたままゆっくりと近づいてきた。 「抵抗すれば撃つ」 意味のない脅しに思わず口角が上がる。 抵抗してもしなくても結果は同じだろう。 これは死刑宣告だ。 まるで他人事のように俺は向けられている銃口を見つめていた。 森に住む悪魔の話は、屋敷の者は皆知っていた。 それが誰かも薄々気がついていた。 だからあの場所へは近づいてはいけない、黒衣の人物に関わってはいけないと、常日頃から言われていた。 もし関われば、世界を滅ぼしかねない悪魔が世に出てしまうかもしれない。 ユーフェミアを、クロヴィスを、ダールトンを暗殺し、その騎士スザクをも手に掛け、億を超える民をほんの数ヶ月の間に虐殺した、あの悪逆皇帝が。 枢木スザクが昨夜様子がおかしかったため、万が一のことを考えて悪魔の家の様子を見にギルフォードが出て行ってからずっと、コーネリアはイライラと携帯を見つめていた。あの悪魔は今はその力を失っているが、どんな手を使って人を操るかわからない。人を欺く言葉も、人をたぶらかす容姿も今はないが、それで安心できるものではない。 真面目で素直で優しい枢木スザクならば、悪逆皇帝の共とされたスザクならば、あの悪魔に同情し、気を許してしまう危険性がある。いや、すでに出会い友達だと錯覚している可能性もある。 昼に近い時間に、ようやくコーネリアの携帯が鳴った。 険しい表情で会話を交わしたコーネリアは、屋敷内にいるブリタニアの奇跡に携わる者たちを全員招集した。緊急事態だと慌てて集まった者達は、険しい表情のコーネリアに、タダ事ではないと息を呑んだ。 全員が集まったのを確認すると「悪魔が目覚めた」と、厳しい顔で告げた。 この地に封じた悪魔。 その悪魔がこの世に出れば、世界は戦乱の世を迎えるだろう。 平和な世界が終わり、人々の屍の山が出来上がるのだ。 この屋敷は悪魔の監視のためにある。 多くの皇族の生まれ変わりたちは、この場所が不自由だという理由でここを離れているが、悪魔を恐れているというのも少なからずあるのだろう。 シャルルが屋敷に家族を招集した時、彼らは渋々この場所へと戻ると、あの森を見て恐怖と罪に怯えた瞳でいつも顔を顰めていた。 その悪魔が動き出そうとしている。 コーネリア達は封じるだけではもう駄目だと、再び浄化をすると結論を出した。聖なる炎でその身を焼き、その魂も浄化してこの世界を救わなければならない。それが偉大なるブリタニア皇族の生まれ変わりである自分たちの役目だ。 そしてこれは、自分たちに仕えた騎士たちの役目でもある。 オデュッセウス、コーネリア、クロヴィス、ユーフェミア。 今この場にいる4人の言葉に頷く以外の術を持たない道化師たちは、彼らの用意する車に乗り込み、悪魔の家の前までへ来てた。 家はこじんまりとした平屋建ての一軒家。 その玄関が開けられており、拳銃を手にしたギルフォードが中にいた。 「悪魔はここに」 皆が家の中を覗き込むと、ロープで体を縛られ、倒れ伏している白いキツ目のお麺をつけた黒衣の人物がそこにいた。ギルフォードが抵抗を封じるため暴行を加えたのだろう、黒衣には足跡が残っていた。 その姿に、当然だと頷く者、顔を顰める者に分かれた。 「では、準備を」 「はっ」 バトレー達は、車からポリタンクをいくつも下ろし、ジノ達にそれを運ぶよう命じた。 何をしようとしているかはそれだけで解った。これからこの家に火を着けるのだ。あの悪魔と呼ばれた人物を焼き殺すのだと理解した時、ジノとアーニャ、ノネット、そしてダールトンは拒絶した。こんな命令には従えない、従いたくなどないと。 「いい加減目を覚ませ!こんな事をして何になるというのだ!もし彼が悪逆皇帝の生まれ変わりだったとしても、それは過去の事、今の彼には関係が無いだろう!!」 こんな事は許されないとダールトンは説得を試みたのだが、彼らは頑として聞き入れることなく、4人は抵抗虚しくロープでその身を縛られ、行動を封じられた。 「ダールトン、お前は何も解っていない。あれは、世界中に争いの火種をまく存在だ。賢帝シャルルの治世を一瞬で無に帰したように、ペンドラゴンとトウキョウの人々を一瞬で消し去った用意、今のこの平和もまた、あの悪魔の手にかかれば一瞬で消え去ってしまうのだ」 「お忘れですか、ダールトン。賢帝シャルル、慈愛の姫ユーフェミアだけではありません、多くの皇族たちがあの悪魔に殺害されたのです。あの時代も悪魔さえいなければ、戦争など起こらず、今のように平和な世界だったでしょう」 コーネリアとユーフェミアはいかに悪魔が危険な存在か主張したが、ダールトン達は首を盾に振ることはなかった。 頑なに拒絶する四人に呆れたように息を吐いた皇族たちは、では手伝わなくてもいいから邪魔をするな、ただ見ていろ。と、愚か者を見るように、冷たく人を見下したような視線でそう言いった。 とうとう家の中にも外にも灯油がまかれ、そして、火がつけられた。 ボウっと音がしたかと思うと、炎は灯油を辿り一瞬で燃え広がっていく。 胸の悪くなるような灯油の臭いに、家が燃える臭いが加わり、ジノはありえない光景と、あまりの悪臭に吐きそうになった。いま、目の前で人が一人生きながら焼き殺され用としているのだ。 何時もは明るく笑い、世界平和のためにと口にしていた者たちが、口に笑みを浮かべながらその人が焼かれる姿を今か今か止まっていた。 優しく慈愛に溢れた人たちだと信じていた。 だが、彼らにのあるのは慈愛ではなく自愛で、自分の望みを叶えるためならばこのような非道なことさえ躊躇うこと無く行う、悪魔のような存在だったのだ。 炎に照らされた彼らの顔はいつも通りの笑みだというのに、醜悪で、怖気が走るほど恐ろしいものだった。 どうにか彼を救わなければと、ダールトン達は必死に暴れ、ロープをほどこうとしたが、今度は銃口を向けられてしまい、為す術なく家が赤々と燃え上がる様子をただ見ている事しかできなかった。 |